フロベールの足跡をたどるノルマンディー散策

ノルマンディーはフロベールの世界、詩の女神、そして無限の研究対象でした。2021年ノルマンディーは、ここに生まれたギュスターヴ・フロベールの生誕200周年を祝います。「この本のノルマンディー描写は生々しすぎて、スキャンダルとなるだろう」。フロベールは自身の小説『ボヴァリー夫人Madame Bovary』について、こうコメントしました。現代の私たちにとって、この大胆さは大したものではありませんが、むしろ前衛的な文筆と印象派の絵画を思い起こさせる風景描写に、感情を揺さぶられます。エトルタの断崖からトゥルヴィルのビーチを経てルーアンの大聖堂まで、ノルマンディーをこよなく愛した小説家の足跡をたどります。

1. ルーアンで、天才の誕生に敬意を表する

ルーアンの人々は常にフロベールを評価していたわけではなく、フロベール自身もルーアンの街に愛着を感じていたわけではありませんでした。彼の生誕から2世紀を経て、100の鐘楼を有するルーアンの街と小説家フロベールが、ようやくお互いを認め合いました。検閲の心配をすることなく、作品の名場面を手掛かりにノートルダム大聖堂を訪れて、「エジプトの大ピラミッド(151m)より9ピエだけ低い440ピエ(pied:長さの旧単位。1ピエは約324.8㎜)」の尖塔、看護者・聖ユリアヌスSaint-Julien L’Hospitalierを描いたステンドグラス、本屋の扉portail des Librairesと呼ばれる大きな扉口を眺め入ることができます。またエマ・ボヴァリーEmma Bovary(ボヴァリー夫人)と愛人が「すだれを降ろして」街中を端から端まで馬車で狂ったように駆け巡った場面も再現できます。さあ、少しずつ人生の旅路をたどってみましょう。市立病院の一翼にある生家はフロベール記念館musée Flaubertになり、医学史博物館musée de l’Histoire de la Médecineには家族のアパートが復元されて、クロワッセCroissetにあるフロベールの家pavillon Flaubert(現在工事中、夏に再オープンの予定)は彼の邸宅の唯一の名残です。そしてフロベールが1880年から眠る記念墓地cimetière Monumentalは、ヨーロッパの注目すべき墓地に認定されています。

2. オージュ地方pays d’Augeで、幼少期の記憶の断片を集める

「子供の頃の全ての思い出が、ビーチの貝殻のように私の足元で音を立てる」。ポン=レヴェックPont-l’Evêqueの周囲を流れるトゥクTouques川の緑豊かな渓谷からトゥルヴィル=シュル=メールTrouville-sur-Merを経てオンフルールまで、オージュ地方はフロベールが小説『純な心Un cœur simple』で再びよみがえらせた、幼少期の理想郷です。かつて家族の領地であったジェフォスGeffossesでは、フロベールが滞在していたプチ・マノワールPetit Manoirにシードルの圧搾機とカルバドスの蒸留所があり、今でもゲストを迎え入れています。トゥルヴィルのビーチでは、「ふわふわ舞うあぶく」を追いかけるギュスターヴと彼の妹の笑い声と、初めてのときめきの香りが漂っています。1836年、14歳半のギュスターヴ・フロベールは、水浴びをする一人の女性エリザ・シュレザンジェElisa Schlésingerのケープを砂浜で拾います。この時に彼は「唯一の本物の情熱」を感じ、それがある意味で『感情教育L’Education sentimentale』に登場するアルヌー夫人Mme Arnouxの着想につながります。
運命の皮肉でしょうか、現在フロベールの像は、「燃えるような瞳」を持った女性の夫が所有していた旧ベルヴュー・ホテルhôtel Bellevue、今のメルキュール・ホテルの方向を向いています。

3. リーRyで、『ボヴァリー夫人』に思いをはせる

フロベールが、この村の夫婦の悲劇的な物語にインスピレーションを得たことを否定したことは、問題ではありません。ルーアンに近いリーは『ボヴァリー夫人』の舞台、ヨンヴィル=ラベイYonville-l’Abbayeだと言われています。村の中心部、「鉄砲の射程距離の長さ」のグランリュGrand’rueから出発する66㎞の散策コースは、標識が整備された15の区間から成り、フロベールの世界を彷彿とさせるお宝のいくつかを巡ることができます。それはかつての農業市を連想させるビュシー市場marché de Buchyの木造ホール(17世紀)、ボワ=エルー城château du Bois-Héroult、エマ・ボヴァリーの逢引の場所であったラ・ユシェットの狩猟小屋pavillon de chasse de La Huchette、フロベールが実際に舞踏会に参加した時の模様を小説で描いたエロン城château du Héronの庭園です。マルタンヴィル=エプルヴィル城château de Martainville-Epreville(15世紀)は、ノルマンディー・ルネサンス初期の建築物の一つで、ノルマンディー伝統工芸博物館musée des Traditions et Arts normandsとして、ユニークなコレクションが15世紀から19世紀にかけての田舎の生活を再現しています。出身地の慣例や風習を見事に描いたフロベールの作品と、良く対をなす展示です。

4.リヨン=ラ=フォレLyons-la-Forêtで、エマと映画を撮る 

フロベール生誕200周年の今年、リヨン=ラ=フォレはかつてないほどに映画を製作します!1993年のジャン・ルノワールJean Renoir、1991年のクロード・シャブロルClaude Chabrolによる『ボヴァリー夫人』の映画撮影舞台に選ばれたユールEure県のこの小さな村は、フランスの最も美しい村々に名を連ね、村の名前に含まれる「ヨンyon」の音、川、そして17世紀から18世紀の木組みの家々と認定を受けたモニュメントの素晴らしい遺産など、まさに理想のヨンヴィル=ラベイです。13世紀の市場からユリの花がちりばめられた裁判所の室内の壁に至るまで、撮影に利用されたセットの解説パネルが設置されています。この愛の撮影ルートでもう一つ忘れてはならないのは、シャブロル版でイザベル・ユペールIsabelle Huppertとクリストフ・マラヴォワChristophe Malavoyが牧歌的な恋を演じた、ヨーロッパ最大のブナの植生地である森です。

5.アラバスター海岸côte d’Albâtreで、ノルマンディーの地質を復習する

ル・アーブルとその周辺の地域は、作品にはほとんど登場しませんが、フロベールはアラバスター海岸の地質に情熱を傾けました。ル・アーブルからエトルタを通りフェカンまで、GR21(自然遊歩道21番ルート)
に沿って、そのまま小説の題名になった博学の見習い二人組『ブヴァールとペキュシェBouvard et Pécuchet』の足跡をたどります。緑に覆われた複数の「絶壁の切込み」と、海への数少ないアクセスとなる溝のついた白亜質の高い断崖(最高105m)のこの珍しい海岸線には、いつも驚かされます。「磨かれたアラバスターのように光輝く」傾斜のある遊歩道、「城壁の曲線のように水平線に向かって」姿を消す断崖、そして海に広がる目のくらむようなパノラマの散策をお楽しみください。

6.ノルマンディーをあげて、フロベールを祝う

2021年4月から2022年6月まで、衛生措置の推移次第ではありますが、フロベール21プロジェクトの一環として200以上のイベントが予定されています。ルーアンでは、次にご紹介する様々な展覧会が企画されています。まずルーアン美術館musée des Beaux-Artsの「サランボーSalammbô、熱狂Fureur ! 情熱Passion !象Elephants !」展(4月23日~9月19日)。この展覧会名は小説のタイトル『サランボーSalammbô』からきています。マルー記念館Maison Marrou(18世紀半ばにルーアンで活躍した鉄細工職人フェルディナン・マルーFerdinand Marrouが住んだ邸宅。1917年ルーアン没)とルーアン・オペラ座での「夫人がボヴァリーを夢見るMadame rêve en Bovary」展(4月9日~11月14日)は、ノルマンディー伝統芸術博物館が館外で企画するボヴァリー夫人浸けのイベントです。そしてフロベール記念館と医学史博物館では、今回初公開の肖像を紹介する「フロベールの心の内Dans l’intimité de Flaubert」展(7月1日~)が予定されています。8月28日には、二人の役者と一緒に大聖堂の見学と馬車での散策を楽しめば、フロベールの作品を読み返したくなるでしょう。リヨン=ラ=フォレでは、「リヨンが映画を製作するLyons fait son cinéma」というテーマでガイドツアーが開催されます。またコー地方観光局Office de tourisme Terroir de Caux は、小説『ボヴァリー夫人』の舞台をたどり、自然と文学をいっぺんにお楽しみいただくべく、イヤホンガイドによるヴァソンヴィルVassonville発GR210(自然遊歩道210番ルート)散策コースを設定しました。