芥川賞作家、平野啓一郎さんのフランス案内

今回は小説「マチネの終わりに (外部リンク) 」 も大ヒット中の芥川賞作家、平野啓一郎さんにお話を伺いました。フランス語での翻訳出版もすすんでいて、また文化庁派遣の文化交流使としてフランスに1年滞在された経験もある平野さん。住んでいたパリの話や、ご自身の旅行体験など語って頂きました。


France.fr
平野さんの作品には初期の頃からしばしばフランスの歴史や文化が登場しますが、元々フランスに興味があったんですか?

平野さん
僕は元々中学生の時に三島由紀夫が好きで、彼が影響を受けたものの一つとしてフランス文学に触れたのが始まりです。フランス文学の黄金時代、19世紀の小説と詩が特に好きでした。

France.fr
文学からのきっかけだったんですね。2005年には文化庁派遣の文化交流使としてフランスに赴いています。1年間のフランス生活はいかがでしたか?

平野さん:パリ第7大学やイナルコの日本文学科で講義をしたり、大使館文化広報部との関わりで欧州各地を回って講演活動をしたりしながら、自由な時間を楽しんでいました。セーヌ左岸のオデオンに住んでいて、出版社も多い地区なので近所で作家に会ったり、夜は飲みに行ったり。家にこもっていても意味がないので、ほとんど日本の仕事は断ってなるべく外に出るようにしていました。よく散歩しましたし、フラヌール(Flaneur・道楽者、仕事をしない人)という感じでしたね。

France.fr
それは理想的なパリの過ごし方ですね。パリ観光は随分されたんですか?

平野さん
あの頃は日本もちょっと景気が良かったのか、友人達が僕のところに頻繁に遊びに来ていました。彼らに頼まれて、普通パリに住んでる人はあまり行かないようなエッフェル塔や凱旋門などの観光名所に行ったり、バトームッシュ(セーヌ川の遊覧船)に乗ったりしましたね。友人達もまだ若くて暇だったから、南仏から時間をかけて車で来たりして。ノートルダム寺院前の0キロ地点の表示(フランスの道路の起点となるポイントが地面に記してあります)を見せると、ずっと高速道路で「パリ○○km」って表示を見ながら運転してきただけに、とても喜んでいました。

France.fr
とても有能な観光ガイドだったようですね。平野さんと言えば、美術への関心も深いと思いますが。

平野さん:パリは美術館も充実しているので、頻繁に通いましたね。中でもルーブル美術館には30回くらい行ったので、絵の好みと所要時間を言ってもらえれば、かなり効率的に案内出来るようになりましたよ。だいたいみんな最初に圧倒されてじっくり見始めるんですけど、「その辺はさらっと見て次に」なんて言って、いい順路に連れて行ったりします。
実は僕自身は散々ルーブルに通ううちに、だんだん飽きてきてしまったんです。でも、そうなってから現代美術が所蔵されているポンピドゥーセンターを観ると「ヨーロッパ人は伝統的な絵画に、心底飽き飽きしてたんだな」と、20世紀前半のモダニズムの芸術家達の気持ちが分かったような気がしました。もうルーブルにあるようなクラシックな絵を描きたくないっていう衝動が、実感として理解できました。だからルーブルやオルセー美術館に行った後にポンピドゥーに行くと、遠い世界だった現代アートが筋道だって見えてくると思いますよ。

France.fr
美術史を追って観るというのも、面白い観光コースかもしれませんね。派遣される前にもフランスには旅行されていたんですか?

平野さん:学生時代には観光で訪れていましたし、その後「葬送 (外部リンク) 」という小説の取材でジョルジュ・サンドの別荘があるノアン(ロワール地方)や、ドラクロワの従兄弟の家があるノルマンディーのフェカンやヴァルモンといった小さな町などに行きました。
当時はEU統合もされていなくて通貨もフランだった時代です。だから田舎の町に行くとみんな英語が喋れなかったんですよね。駅員が「I don’t know」って英語を言えなくて「I don’t, I don’t... savoir」なんて言ったりして。そこから思うと2004年に行った時には凄く英語がうまくなったなと思いましたね。わずか10年の間に。よくフランス人は気取ってるから英語をしゃべらないんだって言われていましたけど、しゃべれなかったんですよね。でも本当に今ではみんなが英語しゃべるようになりましたね。

France.fr:確かに、今ではたいていの場所で英語が通じます。当時は苦労しながら回られたんですね。

平野さん:言葉も不自由な時代にこっちも観光地じゃない場所を、19世紀の地図を片手に「ここまだありますか?」みたいな旅でしたからね。ドラクロアの日記に、今日どこ行ったとか書いてあるのを見ながら「思い当たるとこある?」なんて尋ねたりして。分からないですよね、普通は。

France.fr:フランス旅行の楽しみの一つに美食がありますが、食事はどうでしたか?

平野さん:もちろんパリは食事が本当においしいです。でも美味しいフランス料理は日本にもたくさんありますけど、アフリカ料理の美味しいお店ってなかなかないので、日本から来た人をモロッコ料理のお店に連れて行ってあげると喜ばれましたね。クスクスを美味しい美味しいって食べ過ぎて、夜中にお腹の中で膨らんでしまって苦しんだりしてましたけど。一度パリの北の方の本当にディープなアフリカ料理を食べに連れて行ってもらったんですが、それはもう本物でしたね。洒落たモロッコ料理とは全然違って、鏡餅みたいな炭水化物がどんとあって、スープがどん、みたいな。僕の住んでいたオデオンにはパリを南北に走るメトロ4番線が通っていて、北の方に行くと降りる駅ごとで違う様子を感じることができました

France.fr
文化の多様性というのも、パリの一面ですね。最近はそうした話題も多いですが。

平野さん
問題もいろいろあるんでしょうけれど、それも含めてフランスは憧れがありますね。一方で、僕はEUに対してやっぱり肯定的な思いがあるんです。歴史的にずっと戦争が続いてきた場所で、戦争をしないための共同体を構想して実現していった人々に対して、敬意を抱いているんです。だからエマニュエル・トッドなんかに言わせると問題だらけだってのも分かるんですけど、それでも崩壊しない方がいいなと思っているんです。

France.fr
フランスに滞在されたことで、フランス人との交流もあったかと思いますが、何か気が付いたことはありましたか?

平野さん
フランスの生活習慣で、日本に戻った今でもそれを取り入れていることがあります。例えば待ち合わせに遅れて行くとか(笑)。人の家を訪ねる時に時間より前に行かないっていうマナーですけど。日本では人が訪ねてくる時、こちらは最後の5分でいろいろ準備しようと思っていると、その前に来られたりして結構慌てることがあるんで。
あとささやかな事ですけど、ドアを次の人が通るまで開けておいてあげるのも、いい習慣なので日本でも実践しています。たまに不思議な顔されることもありますが。

France.fr
確かに日常的に日本とは違う習慣がありますよね。

平野さん
住んでみると観光の時とはまた違う体験もあって、よく行く近所のアラブ系の人がやってるお店でも、3回目くらいになると「この辺に住んでんの?」なんて話しかけてくれて、帰国する時に今度帰るよって言うと驚いて「寂しくなるね」なんて言ってくれました。日本のコンビニでプライベートな話をするなんて機会はまずないですよね。店員にそんなこと言っても戸惑うだけでしょうし。

France.fr
パリでは人と人との距離感が日本よりも近い気がしますね。さて、これからのフランス旅行をされる方々に旅のアドバイスなどありますか?

平野さん:最初は空港に着いたら、タクシーでパリまで行った方がいいと思います。電車だと緊張もするし、知らない街で疲れてしまうので。タクシーの人は道もよく知ってるし、心配ないですから。
今はインターネットで予約もできるので、レストランの予約などフランス語ができなくても簡単にできますよね。有名なレストランでも満席で断られることがパリではあまりないように思うので、チャレンジしてみるといいと思います。そしてお店に入る時にはボンジュールと笑顔で挨拶することを忘れずに。これだけで随分印象が違いますから。パリは、いざとなったら歩ける街です。地図さえ見ればどこにでも必ず行けます。どんな細くて短い通りにも必ず名前があってわかるようになっていますから。


平野啓一郎:

小説家。フランス芸術文化勲章シュヴァリエ。

北九州市出身。京都大学法学部卒。1999年在学中に文芸誌「新潮」に投稿した『日蝕』により第120回芥川賞を受賞。フランス語にも多数翻訳、紹介されている。2004年には文化庁の「文化交流使」として一年間パリに滞在。美術、音楽にも造詣が深く、幅広いジャンルで批評を執筆。2014年フランス芸術文化勲章シュヴァリエを受章。著書は小説『葬送』『滴り落ちる時計たちの波紋』『決壊』(芸術選奨文部科学大臣新人賞受賞)『ドーン』(ドゥマゴ文学賞受賞)『かたちだけの愛』『空白を満たしなさい』、『透明な迷宮』、エッセイ・対談集に『私とは何か 「個人」から「分人」へ』『「生命力」の行方~変わりゆく世界と分人主義』等がある。最新長編小説『マチネの終わりに』を2016年4月に刊行。2017年『空白を満たしなさい』の仏訳『Compléter les blancs』 (外部リンク) をActes Sud社より刊行。

パリ