レオナルド・ダ・ヴィンチとフランソワ1世の会話

フランス王の代表的存在のフランソワ1世とイタリアの天才レオナルド・ダ・ヴィンチ、2人はロワール渓谷で一緒の時を過ごしました。もしその二人が現代によみがえり再び出会ったら、何を語り合うのでしょうか? ちょっと想像してみましょう。

フランソワ1世「余は、4歳の時にブロワの宮廷に最も近いアンボワーズ城へやってきた。そして1515年、20歳の時にフランス王となったのだ。」

レオナルド・ダ・ヴィンチ「友よ、あなたはなんと素晴らしい王だったことか! まさに建築王だ。あなたは、すぐに、ブロワ城を拡大し、フランソワ1世棟を建てるなど、大規模な工事に着手したのでしたね。」

フランソワ1世「その通りだ。余は、建物を建てるのが好きだった。特に、あなたの国、イタリアのルネッサンス芸術と建築を愛した。」

レオナルド・ダ・ヴィンチ「あなたは、ロワール渓谷の建築に大きな影響をお与えになった。《初期ルネッサンス様式》と呼ばれるスタイルは、まさにあなたのおかげだ。あなたの顧問や財務官たちは、あなたの真似をして、ヴィランドリー城やアゼ・ル・リドー城などの城を建てさせた。」

フランソワ1世「余が行った最大の工事は、それは余の最も常軌を逸した夢だったシャンボール城である。まさにルネッサンス建築を代表する城だ。確かなことはわからないが、あれを設計したのは、そなた、レオナルド・ダ・ヴィンチだと言われているが・・・。」

レオナルド・ダ・ヴィンチ「それが真実であるかどうかは別として、私は、工事が始まった1519年に死ぬことになる。」

フランソワ1世「残念だ。そなたがフランスに来て3年目のことだった。そなたは、余が住まいとして与えたクロ・リュセ城で亡くなった。そなたは64歳、余は22歳、余は、そなたを高く評価し、《我が父》とすら呼んだ。そなたの死後、余は、そなたの最も有名な作品《モナリザ》を預かった。今は、ルーブル美術館に展示されている。余は、1547年に死んだ。」

レオナルド・ダ・ヴィンチ「親愛なるフランソワ、私たちは、今も生きていると言えるだろう。あなたはシャンボール城を通じて、私はクロ・リュセ城で見ることができる様々な発明を通じて、今も生きているのだ。」

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