レオナルド・ダ・ヴィンチ、時代の予見者

フランソワ1世に「王の一番の画家にして、技術者にして、建築家」と呼ばしめたレオナルド・ダ・ヴィンチは、アンボワーズ城のすぐ近くにあるクロ・リュセ城を与えられ、彼が思うままに創作に励み生活できるように王侯貴族並みの手当てを授けられました。

レオナルド・ダ・ヴィンチは、1516年に、フランソワ1世の招きでアンボワーズにやってきました。当時64歳だった彼は、『モナリザ』、『洗礼者聖ヨハネ』、『聖アンナと聖母子』という3点の傑作絵画と、手帳と、人生を通じて書き溜めた手稿やメモを持参しました。フランソワ1世は、ダ・ヴィンチを「王の一番の画家にして、技術者にして、建築家」と呼び、アンボワーズの王家の城のすぐ近くにある当時のクロ城(現在のクロ・リュセ城)を自由に使わせ、彼が思うままに創作に励み生活できるように王侯貴族並みの手当てを授けました。

クロ・リュセ城で弟子に囲まれて暮らすレオナルド・ダ・ヴィンチの元には王侯貴族や大使や芸術家仲間が訪れ、彼は、絵や建築や哲学や舞台など様々な分野の活動に精力的に取り組みました。
レオナルド・ダ・ヴィンチは、複雑な舞台装置、豪華な装飾、生きた絵画、自動人形、音と光の特殊効果などを考案して、王家の壮大な祭りを企画し演出しました。建築家で都市設計家でもあったレオナルド・ダ・ヴィンチは、ルイーズ・ド・サヴォワとフランソワ1世の依頼で理想都市を設計し、この都市は、アンボワーズから70km離れたロマランタンに作られるはずでした。

1519年5月2日、レオナルド・ダ・ヴィンチは、クロ・リュセ城の自室で亡くなりました。彼の遺体は、遺言に従って、アンボワーズ城のサン・フロランタン参事会教会の回廊に葬られました。この教会は、1808年に取り壊されましたが、彼の墓は、数年後にアンボワーズ城のサン・チュベール礼拝堂に移されました。