ヴォーバンの防衛施設群

Published on 2013年 1月 21日
  • 見事な八角形を成すヌフ・ブリザックの新市街

    見事な八角形を成すヌフ・ブリザックの新市街

    © Atout France/Daniel Philippe

  • ブザンソンの砦

    ブザンソンの砦

    © Atout France/CRT Franche−Comté/Citadelle AMB

  • モン・ドーファンの砦

    モン・ドーファンの砦

    © Atout France/R−Cast

ヴォーバンの防衛施設群

フランス国王ルイ14世お抱えの軍事建築家、セバスティアン・ル・プレストル・ド・ヴォーバン(1633-1707)が手がけた軍事施設の中でももっとも秀でた12の城塞建築物群が登録対象となっています。ヴォーバンは近代的要塞築城法を確立した第一人者で、ヴォーバンが要塞を築いた町は絶対に落ちないとまでいわれた達人です。築城の歴史に大きな役割を果たし、ヨーロッパの軍事建築物のみならず、19世紀中葉まで西洋以外の地域の建築物にも多大な影響を与えました。

17世紀の天才軍人技師ヴォーバンの城塞か、現代建築の巨匠ル・コルビジェの作品群のどちらを世界遺産の立候補地として推薦するか、かねてよりフランス国内で論争が分かれていましたが、2007年はヴォーバンの没後300周年だったこともあり、フランス国内で世界遺産委員会への立候補が決定、正式な登録へと結びつきました。


登録の対象となったフランス12か所に残る要塞や城壁


■アラスの城塞
Arras: Citadelle
国王の命を受け、王国北部をスペイン領ネーデルラント共和国 の侵攻から守るために、ヴォーバンは1668年、アラス城塞citadelle d'Arrasの建築に着手しました。しかし、あまりにも戦略性を欠いた立地であったため、その城塞は「美しいが役に立たぬ城」とあだ名がついてしまいました。しかしそのことで、ヴォーバンの目を見張るような才能が損なわれるようなことはありませんでした。

■ブザンソンのシタデル、市壁、グリフォン砦
Besancon: citadelle, enceinte urbaine et fort Griffon
ブザンソンの城砦は起伏の激しい地帯にあります。岩だらけの山脚に建ち、建築には20年もの時間がかかり、ドゥーブ川上流にようやく城塞が完成したのは1693年のことでした。この城塞の建築はおそらくヴォーバンの建築物の中で最も注目すべき傑作と言えるでしょう。しかし、王室金庫には莫大な負担がかかり、ルイ14世が黄金で造ったのか?と尋ねた、という逸話が残っているほどです。

■ブライ、キュサック・フォール・メドック(城砦、市壁、パテ砦、メドック砦)
CUSSAC-FORT-MEDOC(ジロンド県)Blaye-Cussac-Fort-Médoc  : citadelle de Blaye, enceinte urbaine, fort Paté et fort Médoc
ブライの砦は、ボルドーの港を守る目的でジロンド河を見下ろす高地に1685年から89年にかけて造られました。内部はほとんど小さな町と言ってよく、修道院やいくつもの兵営が壁によって取り囲まれています。ジロンド河の対岸にあるメドック砦、ジロンド河の河口にあるパテ島に造られたのがパテ砦と合わせて3つの遺物を構成しています。

■ブリアンソン(市壁、レ・サレット砦、トロワ・テート・砦、ランドゥイエ砦、アスフェルド橋、砦など
Briançon : enceinte urbaine, Redoute des Salettes, Fort des Trois-Têtes, Fort du Randouillet, ouvrage de la communication Y et le Pont d’Asfeld
ブリアンソンは、制約ある地形に自らの構想を適合させる、というヴォーバン独特の能力を証明する良い例です。切り立った谷が交わる場所に位置するこの街は、戦時下は格好の標的となります。ヴォーバンは高台にいくつもの砦を造る防御システムを考えましたが、残念ながら構想が実現する前に死を迎えてしまいました。

■カマレ・シュル・メールの黄金の塔 Camaret-sur-Mer : tour dorée
ブルターニュ地方には、ブレストやサンマロといった複数の商業港と軍港があり、こうした重要な港を守るため、ブレスト対岸に位置するカマレ・シュール・メールに見張り台と射撃台が建設されました。工事にかかった月日は1689年から実に13年という長いもので、非常時には100人もの人々が避難でき、非常食や必要なものが保管できるという、まさにヴォーバンの傑作。

■ロンウィの星型要塞
forteresse en etoile de Longwy
アラスから国境沿いを南に下っていくと ロンウィの星型要塞にぶつかります。1679 年に建てられたこの要塞は度重なる包囲戦に備えたもので、今でも当時の姿をほとんどそのままに残しています。

■モン・ドーファンの要塞
Mont-Dauphin: place forte
ブリアンソンから少し南に下ると1693年、サヴォワ公爵の軍隊の通り道をふさぐためにヴォーバンが建設に着手したモン・ドーファンがあります。未完成ですが、アルプスの山々に囲まれ、た素晴らしい景観が楽しめます。

■モン・ルイの城塞
Mont-Louis : citadelle et enceinte
ピレネー山脈のほうへと足を伸ばしていくと、大きな2つの要塞がスペインとの国境を守っています。ヴォーバンが1679年から構想を温めていたモン・ルイは標高 1600mに位置し、城塞からの眺めは素晴らしいものです。

■ヌフ・ブリザックの新市街
Neuf-Brisach: ville neuve
アルザス地方では、ヌフ・ブリザックの新市街の一部に城砦があります。1697年に完成したもので、見事な八角形を成しており、現在もそのままの形を留めています。

■サン・マルタン・ド・レの城塞と城壁
Saint-Martin-de-Ré : enceinte et citadelle
ラ・ロシェルの向かいにあるレ島を1681年以来守っているのは、 サン・マルタン・ド・レ村の港に造られた星型の城砦。英国軍上陸を阻止するために造られたものです。

■サン・ヴァースト・ラ・ウーグ、タチウの見張りの塔群
Saint-Vaast-la-Hougue/Tatihou  : tours observatoires
北部、ノルマンディー沿岸では、サン・ヴァースト・ラ・ウーグ港での英国軍急襲を受け、港の安全を確保するため2つの見張り台と射撃台を建設しました。タティウー小島の見張り台は、現在では海洋博物館となっています。


■ヴィルフランシュ・ド・コンフランの城砦、リベリア砦、コヴァ・バステラ洞窟
Villefranche-de-Conflent : enceinte, le Fort Libéria et grotte dite « Cova Bastera »
モン・ルイの城塞近くには、ヴィルフランシュ・ド・コンフランの城壁と砦が小さな山間にあります。この要塞は王室建築家によって補強工事がなされ、そのため保存状態が良く、今でも輝かしさを保っています。



セバスチャン・ル・プレストル・ヴォーバン(Sebastien Le Prestre de Vauban)について


セバスチャン=ル・プレストル・ド・ヴォーバンは、ルイ14世に53年間仕え、130の要塞と要塞都市を築き、50以上の包囲戦に参加し、10万8000kmもの距離を移動した非常に精力的な人物です。17世紀の貴族にしては並外れた人生を送ったヴォーバンは、そのキャリアを軍人からスタートさせました。

やがて包囲戦指揮のエキスパートとなった彼は、すぐに要塞に関する自らの構想を実現に移しました。街を攻め落とす名人はヨーロッパでもっとも才能ある軍事技師となり、国土の防衛は彼の手に委ねられるようになったのです。

西洋の近代的な軍事建築の典型とも言える「ヴォーバン式要塞」を体系化し、城塞技術と要塞建築に革命をもたらしたヴォーバンの築城法はルイ14世の時世に戦争において決定的な役割を果たすことになりました。フランス国内に留まらず、ベルギーやドイツ、イタリアなど欧州各国、アメリカ、ロシア、東アジアにおいても同様の技術を取り入れた要塞が築かれ、後世に多大な影響を残しました。他にも都市計画や執筆など多方面にわたって活躍した啓蒙時代の先駆者です。


ヴォーバンはルイ14世のお気に入りの建築家として生涯を王、また国に捧げましたが、一方で王の政策を批判し、特にナントの勅令の廃止に関しては経済的な観点から反対したと言われています。常に人民の平和と繁栄を願ってやまないヒューマニストだったといえます。軍事技術者とはいえヴォーバンが常に目指したものは、国や人間そのものを破壊する戦争に代えて、国の経済的発展や繁栄を願い、何よりも人々の「生」を尊重することでした。彼が体系化した要塞や砦は軍事的建造物であると同時に、「人を守り、人の心の中に平和の砦を築く」ための象徴的建造物だったのです。これこそが啓蒙時代の一ヒューマニストであったヴォーバンが目指し、後世に伝えたいメッセージだったと言えるでしょう。世界遺産への登録で、300年の時を経た今、やっと彼の功績が認められたといっても過言ではありません。